
「ケインズ・シュンペーター・ハイエク」
本書のタイトルの全文は、「ケインズ・シュンペーター・ハイエク ー 市場社会像を求めて」である。
副題に「市場社会像を求めて」とあるように、本書の後半において著者は、20世紀経済学を代表する三人の巨人がその思想の中で描き出した市場観、社会観を比較することで、市場社会の要素や構造の分析と、その未来への展望を考える。
しかし、まえがきにもあるように、本書は著者のケインズへの偏愛に満ち満ちている。
「本書は20世紀前半の主導的な経済学者であるケインズを、時代状況、家庭環境、思想・文化環境、経済理論の構築、経済政策活動、市場社会観等の側面から検討することにより、立体的なケインズ像を提示すること、ならびにそれらを通じて同期間のイギリス経済社会の状況の一端を探ること、を主たる目的としている。」
さらに「本書がケインズを中心に論じることにした主な理由は次の点にある。」と述べ、二度の世界大戦の中で世界の経済システムが大きな不安と混乱の中に向かう時代に、ケインズはその中心的な人物となって新たな経済理論、経済政策論、世界システム案を提案したことを評価し、「これらの点で彼に比肩する人物は皆無である」とする。
最終的な感想を率直に言えば、本書は「ケインズ本」として実に秀逸であり、人間としてのケインズの実像と歴史的なケインズ像の側面を巧みに融合させながら、そこに黄金期の凋落から始まるイギリス社会の諸相を織り交ぜ、ケインズがいかに生まれたのか、またケインズとは何だったのか、ケインズは現代に何を教えるのか、という包括的な「ケインズ像」を描き出すものである。
一人の経済学の出発は、その主体個人の社会哲学から始まる。
よって、ケインズの人格形成の過程から彼の理論の構築の手順を見る本書の手法は、我々のケインズ理解を一層深めてくれるものであろう。
よって本書はまず、「ケインズとは誰か?」という興味を持った方に推薦される。
経済とその理論としての経済学の理解や、人間自身、社会の実相といったものへの興味も本書は満たしてくれる。
では、シュンペーターやハイエクについてはどうか。
もちろん出鱈目が書いてあるというわけではない。シュンペーター経済学の全貌とその前提である「創造的破壊」概念の説明や、ハイエクの「自生的秩序」の論理や彼の社会哲学の本質を、本書は十分に紹介している。
しかしそれはケインズの分析の質や量と比較して、全く不十分であり劣っており、フェアではない。
もちろん本書のまえがきは事前に読者にそれを宣言し断わっている。
これはケインズがメインであり、残りはその思想理解の補佐であると。
しかしたとえそのように宣言されたとしても、本書を読了して思うことは、タイトルが全く不適当であるということだ。
「ケインズ・シュンペーター・ハイエク」と三者を並列して並べることも間違いであるならば、副題の「市場社会像を求めて」という設定も間違いである。
「ケインズの思想とその時代 ―― 市場社会の理想とは何か?」
これくらいが適当であろう。
本書は三者の市場社会像の比較も十分ではないし、何より著者自身がケインズの社会観を自身の思想の中核に据えていることが本書全体からありありと見て取れる。
冷静な論の展開に努めてはいるが、著者の疑義はことごとく彼の思想を前提に出されており、哲学的認識の底が浅い。
たとえばハイエクを批判して「重要なのは、現存する市場社会を、巨大企業組織や巨大労働組合が重要な機能をはたしていることを視野に入れ、....検討するということであろう。」と著者は言うが、そもそも巨大企業や組合の存在が、自由な市場による生産能率の弊害である可能性もあり、また「一人の天才が歴史の流れを決定づけるということは、人類がこれまでに幾度も経験してきたところである。」との主張は、そのような行為も自制的秩序の宇宙の中の一つの変数であり得、ハイエクが理想とする市場社会における国家の役割といったような問題の一層の分析と考察を必要とするテーマである。
ケインズと同質同量の分析を他の両者についても行えないのであるならば、著者はケインズをもっと主軸に据える姿勢を徹底するべきだった。そうであるならば、より有効な議論と結論が導出出来たかもしれない。
本書はそれでも比較の書である。
以下事項別に、本書における三者の主張の記述を比較したものを記す。
<人間>
ケインズ:資本主義にあっては「強欲、高利貸し、用心等」
シュンペーター:「企業者」と、それ以外。
ハイエク:「きわめて非合理で、誤りに陥りやすい存在」
<資本主義>
ケインズ:賢明に管理されるならば、いかなる代替的システムよりも効率的なものだが、「本質的にはきわめて不快なもの」
シュンペーター:「創造的破壊」によって形作られ、貨幣単位を計算単位にまで高め、人間行為全般を合理化する。
ハイエク:市場社会の前提
<社会主義>
ケインズ:「貨幣にたいするわれわれの考え方や感じ方を劇的に変革させることは、現代に具現された理想がますます重視していく目的となるかもしれない。おそらく、それゆえにこそ、ロシアの共産主義は偉大な宗教がもつ最初の混沌とした感動を露呈しているのである」
シュンペーター:「生産手段にたいする支配、または生産自体にたおする支配が中央当局に委ねられている....ような制度的類型」
ハイエク:「設計主義的合理主義」の極限であり、「隷従への道」である
<市場>
ケインズ:「中央組織による通貨と信用の意識的なコントロール」と「大規模なデータの収集と伝播」によって、リスクや不確実性を縮減することで、最大の効率となる
シュンペーター:「創造的破壊」によってはてしなく運動と反運動が繰り返される均衡
ハイエク:不完全な情報と知識しか持たない個人を、価格システムを中心に情報を伝播・伝達させることで、社会に結合させているもの。また完全情報を達成する場。
<動力>
ケインズ:資本主義にあっては「金もうけ本能および貨幣愛への強力な訴え」
シュンペーター:「企業者」による「創造的破壊」
ハイエク:予見できない変化を生むものとしての「競争」と、それに応じてなされる諸経済主体の意思決定
<未来>
ケインズ:政府が「金融業者、企業者、その他この種の人々の知能と決断力と経営力を、合理的な報酬条件で社会の役に立つように活用する」
シュンペーター:資本主義はその過程の進展とともに制度自体が自壊し、社会主義社会が実現する。
ハイエク:抽象的原理の強制による完璧な市場社会こそ、人類の到達した最良のもの。
以上が簡単なまとめと振り分けである。
この要約にも私の偏見が介入している余地があることは否定出来ない。
本書を離れて私見を述べれば、
ケインズの具体的な施策者としての情熱を私は評価し、
シュンペーターの経済構造とその動力の分析を評価し、
ハイエクの社会哲学とその理解と姿勢に同感する。
これまでの繰り返しであるが。
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