毎日スコッチばかり飲んでいると、だんだんそれが麦茶みたいになってくる。
科学的に考えても、確かに当たり前といえば当たり前か、な。
サイバーパンクの小説を読みながら、僕は自分の舌の感覚、口中に広がる風味や苦みを、そんな風に形容している自分をまた意識した。
やっぱり、あらゆる真実はフィクションであり得るという疑惑を晴らせない以上、文学にこそ「絶望した人間は希望的なヒューマニズムの夢を見るしかないのだろうか?」ということになるのだろうか、な。
舌先の輪郭が、蒸留酒の気化とともに痺れる。
舞台の比喩というのは、あれは汗と冷や汗の相互世界なんだ。踊る阿呆に、見る阿呆。子役と保護者のオーディション。見栄を切り、目を切り、面子切り。本番前には、ちゃんと膝にアザを作って、お客さんの前で言い訳しないと、そうして自分を作るんです。お酒だってそう、いざってときのために、日々飲んでるんです、飲みたくもないのに、準備体操ストレッチに余念がありません。いつでも、どんとこい、どんなハプニングもきっと素敵にしてみせましょう。
溺れる世界で、人はふつうにちゃんと溺れていく。
そして浮き上がり、心地よい窒息観とともにまた深い深い方に溺れていく、美しく、醜く。
「溺れ」という世界の構図を見ている人間の不幸は、それでも彼も溺れずにはいられないという宿命を逃れられないこと。
耽溺に溺死し甦生し、窒息し解放され、新鮮な空気の新鮮さをあらためて知る幸福と疲労。
日々はまさに、かくの如しであります。
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