2009年2月13日金曜日

文士の政経談

国会中継を見ても、そしてあらゆる真面目な人たちの議論を見ても、

そこには気持ち悪さと、心からの絶望が漂うだけなので、

(まさに「地獄への道は、善意で敷き詰められている」!!)

ここでは何の意味もないが、僕自身の政治経済論的スタンスをしたためることにしよう。

ーー

一般に「派遣切り」はけしからん、全員を正社員とすべきだ、また、内部留保を溜め込む資本家と株主たちブルジョアジーに対して、搾取された弱者である労働者の階級闘争を是正しなければならないといった風潮についてのナンセンスを提起し、それについて疑義を挟みます。

まず、派遣切りのサブスタンシャルな問題は、労働需要の低下であり、GDPの低下であります。全体的なパイの縮小の結果を誰が「かぶる」かという問題であり、それは強者/弱者の議論ではありません。彼らがクビにされやすい弱者であるのは、日本の雇用法の問題であり、戦後一貫して正社員を極度に擁護していきた判例の問題です。企業は正社員をクビに出来ないから、派遣を雇い、時事の経済状況へのバッファの役目にするのであって、それは階級闘争というよりは、ノンワーキング・リッチ(天下り官僚のご年配がいい例でしょう)と、新世代の世代間闘争にまだ近いものです。使えない高級取りの正社員をクビにして、新たな新人を雇用すれば、雇用需要の総数は飛躍的に増えます。
「じゃあ、クビになった正社員はどうなるんだ」という意見については、高給取りの年配はさておき、確かにギリギリの正社員が非正規社員に落とされることがあるかもしれません。ここで自己責任や個人の問題を問題にしても仕方在りませんが、しかしそれは雇用の流動性が極端に低い日本社会の弊害です。たとえば福祉の分野において人が足りない、農業で足りないという現象が顕在しているのに、一方では人が余る。働く口はあるわけです。大事なのは今まで企業が担ってきた「共同体」の役割を、それが崩れてしまったということを素直に認めた上で、どのように社会的に構築するかということ。生活保障というのが最も悲惨な人生であり、それによって国民は救われないということ。セーフティーネットというのは、快適なベッドではなく、弾力的で友好的なトランポリンであるべきです。

日雇い派遣の規制の先にあるものは、派遣労働者の即刻解雇と、新規正社員採用の縮小、それに変わる労働力は海外で調達し、生産業務の全てを国内外で、もしくは外部にアウトソーシングするという企業戦略です。
結局派遣規制は、全体的な労働分配を矮小化し、資本の国外流出を促進させるだけです。これはグローバリゼーションが悪い訳ではなく、そのグローバリゼーションのマイナス面だけを積極的に引き受けている政府の政策が悪いのです。

最後に格差社会ですが、日本にはもちろん格差がありますが、今現在のような程度の格差に生きていけないのなら、本当にそれは死ぬしかないのでしょう。餓死するということがありえない国で(ときどきニュースになりますが、あれはもはや自発的なwillなのではないかと思います。ホームレスの生活ってけっこう豊かで、コミュニティーもしっかりしてる。しかも餓死がニュースになるんですから)、格差を声高に叫ぶ恥ずかしさ。チフスで死に、コレラで死に、狂犬病で死に、ゾウに踏まれて死に、それでもニュースにすらならない国に、そんな国のガッツに、どうやって国際競争していくのか。現に誰も国外逃亡(海外で仕事を探すというオプション)をしてないということは、日本がそんなに悪くないからでしょう。

これは現状肯定とは違います。現に問題は内需拡大ですし、そんな超マクロな経済政策に僕は何もコメントできないですから、せめて雇用の流動化を、せめて本当に、馬鹿みたいな雇用規制が現実にならないことを願うのです。

つまり僕の信条はこうです。

「地獄への道は、善意で敷き詰められている」

彼らは本当に日比谷公園の500人を可愛そうだと思ったのです。その背後の何十万人を無視して。

「合理主義的設計主義は、絶対に失敗する」

社会主義と全体主義、そしてケインズ的経済政策の果てにあるのはプラトン流の哲人政治です。
人類とはもっと阿呆で馬鹿で無知なのです。
大事なのは制度であり、目標ではない。
「各人が各人の求めるところに、必要なものを」実現する社会の自由を保障する制度こそが国家の役割です。
なぜならもはや「大きな物語」はないのだから。

ーーー

これは文士の政談であり、経談だ。

ドガがクレマンソーに語ったことが笑い話のように、これも自己満足のおとぎ話かもしれないが、

僕は最近信念をこめて、こういう社会スタンスをとっている。    

0 件のコメント: