漱石が語った自己本位について、僕はそれほどたくさんのことを語れないけれど、
僕が僕として考える自己本位の哲学を、ここに書きたい。
これは、郵便の問題はあるけれども、紛れもないラブレターだ。
わがままを貫くことは、一つの優しさだ。
自分の決定についての責任は、自分がとりたい。引受人が他人であれば、その行為の結果について、彼は永遠に悔やむのだろう。
後悔をひとに押し付ける苦難は、耐えるに地獄である。
だから、わがままは衝突するはずであり、すべきである。
わがままの問題とは、許容の問題であり、優しさの問題である。
ここにあって、わがままを言う優しさは、わがままを許す優しさと衝突する。
優しさと優しさの闘いは、寂しさに満ちている。
お互い、何もできないからだ。
しかしそれを乗り越えるのもまた、優しさだけである。
だから、僕たちはわがままを言おうよ。
もっとわがままを押し付けよう。
無交渉の悲惨の前に、僕たちはわがままをぶつけ合おう。
無交渉の悲惨の前に、僕は泣きながら、あなたにわがままをぶつけたい。
さみしい結末が、本当に途方もなくさみしいことだけは、僕も知っているから。
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