2008年10月20日月曜日

暴力 part X.

竹中信幸氏に聞いた。

氏は定刻大学の迷世博士であり、こういった問題について大変造詣が不快かたである。


「就職活動が、就活となり、しゅーかつ、となります。

それを歴史的な経過だと勝手に仮定して、現在にいたると決めつけるんですね。

そうすると、それは結局、ビューロクラシーを頂点としたハイエラルキカルな秩序世界に飛び込んでいく、そういう人生のシステムとプランが、そういう神話が、最高潮を迎えた後に崩壊していくという中で、しかしその形骸が機能しつづけざるを得ない、そういうときに現れるということが、わかるわけです。

現代の若者というのは、それこそあらゆる価値観を並列的に肯定出来る人々ですから、まぁそれを東君はデータベース思考なんて言っているわけですが、そういう中で戸惑うんですな。いや、それすらも意識的ではないかもしれない。

何でも受けてしまうというのは、目指すべきものなど最初からない、アプリオリな経験として与えられたストーリーなどないからです。
物語も神話もない社会に3年生は、結局「自分のそのまま」を迫られる。
しかし自分は何でもそれなりにやるし、出来る。または、そんな無根拠な自信がある。指標がないんですからね。
curiosityなど何にでもあるし、interestなど何にもない。

大きな物語がない中で彼らは、昔のつまらない知識人よりもよほど実存にさまようんですな、ハッハッハ。

就職活動が、しゅうしょくかつどうに、拡散していく。

相対的な無数の価値座標を漂わなければならない。

だから私たちはすり減り、しかもその報酬といえばあまりにチープな解放という安堵、というわけです。

ま、関係ない人には関係ない話ですな。全体社会に還元されない人はいるもんです。ハッハッハ。」


竹中博士は教授では非れない。

それもよくわかる話である。

oops、失礼。    

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