テクストの価値は、内面にあってはそれについての筆者の誠実さにあり、外側からの評価は資本主義的な認容・評価のシステムの中で決定される。
それは結局、真実などというものはないのであり、またそれらはテクストの外に決してあり得ないからである。
テクストの構図はシンプルである。
その客観性を問うことは、一次資料を除いては、不可能であり、そんなものを議論しても仕方がない。
各個人のテクストについての誠実システムと、それらの多数決的投票であり市民権の生存競争である資本主義システムの二つしかない。
すべては、その集合なのである。
これは何も批評について、出版についてなどということではない。
「書くものに責任はないのか」という訴訟に応えようと思う過程なのだ。
責任はあるのだ。
その二つのシステムに対して。
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