とても楽しい一日でした。
tossyとの買い物デートでした。
一ヶ月くらい離れていたものですから、
会話の距離感というか、コミュニケーションの間合いが最初はさぐりさぐりになってしまいました。
これだけ一緒にいる人でも、ひと月離れただけで、そんな風になるのですから、
他の人なら全く、どうなるのでしょうか?
いやいや、むしろ一緒にいたからこそ、出てくる、微妙なものなのでしょうね。
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誠実に、誠実に、と僕はよく言います。
だって世の中はもはや、意味の浮遊と、絶対の不在に(人文学的にね!)あるのですから、
何をもって、私が私に対して責任をもち、あなたと交流できるかと考えれば、
そこには、自分に対して偽らない、ということしか拠り所がないじゃあありませんか。
いや何も、ずけずけモノを言えばいい、ということではありません。
姿勢の問題としてです。
しかし、先ほども言いました通り、
結局このシニフィエとシニフィアンの戯れでしかない世の中では、
僕の「誠実」という「音声」は、
すぐさま僕の手を離れて、一人歩きし、
もはや僕自身も、「誠実」という「意味」を持ち得なくて、
結局、あなたに届いたときには、
一瞬あなたに理解され、またどこかに飛んでいく。
結局、僕とあなたの間には、誠実などという意味も音声すらもなかったことになるのです。
何を言っているのかわかりませんね。
僕もわからないのです。
でも僕は、上記の言葉は、まず間違いなく僕の気分を表していると発言します。
その瞬間において、その文字は僕の言葉に誠実でした。
でも今は、違う。
僕は、それを自問する。
「本当に、いいのか?」
でも、「よかった」んです。
そうでもしなければ、
僕はただの一言も、書けない、言えない。
永遠に僕は、文字を書いては、消し、書いては、消しという作業を繰り返さなければ行けなくなる。
それでは僕はいつ、推敲できるのか?
わかりません。
だから、誠実とは、妥協を含むのですね。
認めてはいけないけれど。
とりあえず、そうしておきます。
だから、何、というのはあったのですが、
消え失せてしまいました。
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しばらくあなたのことを、忘れていました。
あなたは、もう、"museum"ですから、
頭にあろうがなかろうが、一緒なのです。
これは強がりじゃぁ、ないんですよ(笑)
少なくとも「つながり」が、浮遊していれば、それでいいのかもしれません。
素直になれるだろう人に素直になれる、という素晴らしさを、
僕がどうこう言う権利が、一体どこにありましょうか。
パロール、ラング、シニフィエ、シニフィアン、エクリチュール。
そんなの知ったこっちゃない。
この世界は素晴らしいし、
「あなた」が素晴らしく、生きている、ようだ。
それ以外に、真実など必要でしょうか。
ただ僕に、妬む気持ちがなくなることを祈るばかりです。
(今、全部、読み返しました。これで足りてるのか、僕とあなたに誠実なのか、わかりません。でも、すみません。)
追伸
カフカの「変身」を読みました。
とても、明るい、お話だと思います。
白夜のような。
もちろん、暗いのですけどね。
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