2007年7月3日火曜日

お米 - それは、ゆるやかな球体として

「ゆるみ」と「張り」という言葉について考える。


「癒し」と「ストレス」、とかいうのとは違う。断じて。


日常生活、自分のライフスタイルを、「ゆるみ」と「張り」の概念で考えてみる。


この二つは、はたして反立するテーゼなんだろうか?

今日は、朝からこのことを考えていて、

今、すこし、帰結を見た。


思うに、「ゆるみ」とは、自分の開放などではなく、「自分の確認」なのだ。

そして思うに、「張り」とは、鬱屈とした外傷などではなく、ゆるやかな負担と、それにともなう「自己の忘却」なのだ。

と、定義してみた。

これは辞書的には検討ハズレだけれど、自分の中だけの話として。

上の定義は全然上手くなくて、10%くらいのものなんだけれど、

一つ、このお話で言いたいのは、


「自分の演出したもの」が、「ゆるみ」なんだ。


と、思ったということだ。

自分が演出できていないものが、「張り」なんだ。

だから、それはどっちがいいとか悪いとかではなく、

どちらをいいと思うか悪いと思うかは、その時々で違うんだ。ということだ。

うん、そういうことだ。

最初の定義なんて、いらなかったね。

クオリアなんて言葉も、

こういうところを含んでるんだろうな。

ヒトって、難しいね。    

2 件のコメント:

sgss さんのコメント...

ここにきて RSS 登録をした〈嵐〉こと sgss です。
(妙な呼称を使いよって)

「張られた」でないところがずるいな。
対立語をこしらえると別概念が伴うのは日本語の妙。
認識の同一性が無いあたり、それこそクオリア?

今日、おじゃまします。

mr.custard さんのコメント...

あら〜家にいなくてごめんね。

今週はサークルと課題に追われてますのよ〜。

ごめんね、何かコメントするにも曖昧なblogで。

またちゃんと書きますので、がっつりコメント下さい☆