Custard(以下C):「今日は、ありがとうございます」
Charley Gordon(以下G):「いえいえ、気になさらずに」
C:「立ち入ったことをお聞きするのですが」
G:「はい」
C:「アリス・キニアンとの口論は、何が原因だと?」
G:「彼女は知性、インテリジェンスですね、そのことについて自分が私より劣っていく、そのことが嫌であると言っていました。それは同時に彼女自身に強い自己嫌悪を起こしていたようです。私は、彼女を理解しようとしましたが、そういった行為も彼女には私の「驕り」に見えたのかもしれません。」
C:「私はその話を聞いたとき、あなたにとてもうかがいたいことが頭に浮かんだのです。つまりそれは、知性というものがそんなに一義的なものなのだろうか?ということなのですね。あなたは確かに賢い。記号論理学や文化的変異、どんなアカデミックな場においてもあなたは権威となり得るほどです。ただその知性とは違う「知性」、そういうものは存在しませんか?僕はあり得ると思うのですが」
G:「わかりませんね。少なくとも書かれた私は、そのことについての考えを表明していないでしょう?(笑)」
C:「確かに(笑)」
G:「しかし、知性の在り方というイシューへの意識はなかったかもしれないが、私は、自分の知性を周囲と比較するというような考えは、それほど持ってはいなかった。学者先生たちをバカにすることは除いてね(笑)。私は私の欲求のために賢くなろうとしたし、物事について考えもした。ただそれだけだったのですがね。ただ、それが周りの憎悪や反感、戸惑い、混乱を生んでしまった。それは何故か?真剣に悩みましたね。」
C:「私はね、ゴードンさん。あなたがコンサートのときに、音楽について「考えようと」したでしょう?それに、あなたは学会発表のために飛行機に乗るときになって、頭ではわかっていながらも、感情的、経験的にその不安、墜落の不安ですね、それを抑えることが出来なかった。前者はいわゆる「知的といわれること」の部分的ですが、悪い側面であり、後者は、まさに頭でっかちの子供だ(笑)頭ではわかっていても、人生経験の乏しさや感情のコントロール、感情と理性の擦り合わせができないことから生まれる不安を抑えきれなかった。」
G:「おっしゃるとおりです(笑)」
C:「でも、そのとき彼女が隣にいれば、どうでしたか?「大丈夫よ、チャーリー。あたしの手を握って」と、声をかけられていればどうでしたか?コンサートのときも、あなたは音楽についての別の見方、「感じればいいの。理解しなくてもいいから海の波のようにあなたの心を洗わせればいいの」という言葉を得た。それは、あなたとは全く違う「知性」だとは言えませんか?」
G:「・・・・」
C:「僕はそれは純粋に「かしこい」と思うんです。知性というのはロジカルであったり冷静であったりすることではなくて、いろんなことをまとめられる穏やかな境地だとね。一つ一つに目くじらをたて惑わされるのではなく、よくよく世の中の全ての事象をみつめて、その間の共通項をひとつの見方にまとめあげる。そういうことだと思うんです。だから例えば男女においても、ここではあなたがそうだったように、あなたはある意味でとても「かしこかった」が、彼女は別の意味で「かしこかった」。あなたが知的であるあまりに制御不能に陥ったり、知性がありすぎるために持ち得なかったものを、彼女はコントロールできたし、持っていたでしょう?恋愛や、人間関係が相手への「尊敬」でなりたっているものだとすれば、僕はそういう補完の仕方があり得ると思うんです。ステレオタイプに言えば、お洒落ではない男の科学者と、大学に行かずフランスにいったアートが好きな女の子は結ばれると思うんですよ。男は宇宙空間の膨張理論について激しく悩み、議論し、激昂するが、一人のときにはあまりに情緒不安定な子供なのです。彼女はそんな男の論理を聞き、おもしろくも思うが、もっと別な見方がある、「科学はただの説明で、絶対ではないのよ」と言い、彼の頭をひざの上にのせる。マッチョだと思いますか?男性中心的な枠組だと?それは、別に逆でもいいんです。僕は、知性っていうのは、よく考えること、だっていうことが言いたいだけなんですよ。それによって互いに惹かれ合うということが、全くあり得るし気づくべきだということがね」
G:「・・・・」
チャーリー・ゴードン氏は、語ることにおいて限界をもたれていたため、
私は、少しアンフェアな返答をしてしまったかもしれない。
インタビュアーとして、失格であったと思う。
2 件のコメント:
知性、なんてもったいぶった言葉を使わずに(そこが意味もなく話を難しくさせている)経験と論理に置き換えてもいいんじゃない?
まあ、君の論法で行けば大学で勉強をすることと「can cam」を読んで流行をチェックすることが同じこととして並べられてしまうわけだし、わかりやすいニヒリズム(すべての意味とか位置が取り払われて、ただ強度だけが残ること)にベタにはまっているような感じがしてちょっと不気味だけど、現状認識としては大体正しい気がする。
同じところをグルグルと廻り続けてしまう危険性はあるけど、経験に基づいて生きる限り変に逸脱することはないだろうからね。君とか細木和子を見てるとそう思う。
例の科学者とフランスに行ってた女の子の「補完」は本当に素敵なことだけど、男→女はありえても女→男が絶望的にありえないのが今の日本だろうね。それが悪いことだとはいわないけど。
今、お酒入ってるから、そのテンションでっていうのかもしれんけど、
細木和子かぁ〜ショックやわ。あんなボケと一緒?笑。
アルジャーノンに集約してるかrあ、あえて知性っていう言葉を使ったんやけどね。経験と論理、じゃぁ乖離してるでしょう?どうしても。それを統合して決断してるわけじゃない、人間は。ニヒリズムとか、経験に基づく〜理論は、あんまりわからへんな。女→男がありえへんっていうのも。
また、ゆっくり聞かせて。
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