2007年6月6日水曜日

目の前にある、こと。

アイルランドのジョージ・バークリーは、


「存在することは認識されることである」(esse est percipi)


と言った。


と、ある人(おなじみの脳科学者ね)が書いていた。


「やっぱり、当然だよね。うん。やっぱり」


目の前の風景は、ぼくにとって、「ある程度の世界」でしかない。


百メートル先の、木は、見える、けれど、

それ以上ではない。

緑色で、茶色でということは、見える。

それが葉で、それが幹で、ということは知っている。

でも僕には、それ以上ではない。

もしここに、植物学者がいたら、

そこにはもっと違う世界が存在することになるだろう。


認識されなかったものは、存在しない。


また、


認識の甘かったものは、そんなに強く存在しない。


だから、


無感覚であったり、目の当たりにしなかったりすれば、


つらい事実は、存在しない。


けれど、


ハッピーな事実も、存在しない。



だから、やっぱり、


自分の五感の全てでもって、


「向き合うこと」が、


絶対、ぜったい、大事だ。


でも、人間の本能は、


あまりに危険な刺激に対しては、


その機能をシャットダウンしてしまう。


死なないために。


でも、


その寸前までは、やれるんだ。


僕の本能よ、強くなれ。



最後に、


形而上的思考を愛するひとたちに。


「哲学は良くも悪くも社会の実態から離れた机上の空論だというのは、わかりやすいようで間違った考え方だ。

哲学は、大多数の人々には無縁の存在だというのも間違っている。

何故ならば、哲学の最先端で問題になり、哲学者たちの苦闘を経て一応の解決を見たような問題が、何年か経つと「当り前」の一般常識になるからだ。

しかも、そのような一般常識が、人々が日常生活を生きていく上でのかけがえのない知恵となる。」


脳科学者が言ってました。    

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