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子供が、泣いた。
その子はいまだ決して、「ひと」の前で涙など、
ましてや、あんなに大声をはりあげて、
それもすごい金切り声を、
その女性の胸に、顔いっぱいをおしつけて、
くぐもった空間、つぶされそうな顔面いっぱい、そのコットン地にむかって、
自分のぜんぶをつかって泣いたことなど、
一度もなかった。
その子の母親はとても優しかった。
その子はとても大切に育てられた。
でも、その子は泣かなかったし、甘えなかった。
泣く相手と、泣きたい相手が、同じでなかったから。
だから、その子は昨日、泣いたんだ。
この女性にむかって。
目一杯の、そう本当に目一杯の。
女性は、どうしたらいいかわからなかっただろう。
その子はひどく神経的で、躁鬱の激しい状態だった。
疲れていた。
わけのわからない高熱で。
気づけばその子は、この大きなアイルランドの上で、
裸足だった。
その子が必死でかけ回った大地は、
唯、広く。
空は、白黒の風景で、地面は、地面のカラーで。
崩れ落ちた城たちは、ただ世界の境界を告げていた。
その子はいつしか、家についた。
そこには母親はいなくて、
ただその子が幼いころに着ていた大好きだったボーダーの、Tシャツが、
ただの調度品として、あった。
その子は走ってかけより、
それはもういろんなテーブル、いろんなおもちゃにぶつかりながら、
そのたびにわめき、
笑い、しながら、
つめよって、
その「幼いころ、自分が着ていた服、ボーダー」という、
ただ、たったそれだけの記号、憧憬に、
ぐしゃぐしゃに泣いた。
それが女性だった。
本当にそこには記号の世界も、言葉の世界もなかった。
その子は、それからのことは憶えておらず、
泣いたあと、寝た。
彼は、昨日、こう言ったあと、
「でもよく憶えてないんだ。それこそ、一瞬のことで。」
「でも、そういうことがあったことは、本当だよ。だって、僕は話しているもの。」
「君がこの話をどう考えるかは、楽しみだな」
「だって、意味が見当たらないだろう?」
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