2007年6月8日金曜日

読書中、失礼。

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今、本を読んでいるのです。

「本」には失礼なのだけど、ここで一筆。

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"discomunication" の、呪い。

これにだいぶんと悩まされてきました。

(もちろん、これからも)


Aさんの言葉は、(Aさんの意志は)

Bさんにちゃんと伝わるのか?(BさんはAさんの思った通りを、その言葉に「読める」のか?)


とても大きい問題ですね。


でも、

それでも、語らなければいけない言葉があります。


「あなた」に通じない、という事実。

「あなた」は、違う「読み」をしてしまうんじゃないかという不安。

そうであれば、これは、この僕の「伝えたいこと」は、メールに書くべきじゃないんじゃないか?

では、「語らないこと」で、「語れる」のか?


相手を尊敬してる人でも、

相手をバカにしてる人でも、

「悩む」のです。

では、このメールは送るべきなのでしょうか?


正解は、

50%の確立で、送るべきです。


あなたは伝えたい → なら送ろう。

どうして? → 語ることそれ自体が、愛だから。


相手に伝えたいという気持ちそれ自体が、愛なのです。

どっかのマンガのキャラクターが、

「人と人とが 完全に理解し合うことは 決してできぬ。人とは そういう悲しい生き物だ』

と言いましたが、

それでも、伝えるべきなのですね。

語るべきなのです。

愛しているなら。

それをどうしても伝えたい相手には、

いくらボロボロになろうとも、

discomunicationの森を走り抜け、

その先の光の中へ飛び出す努力を、

しなくちゃあいけないと、

思うんです。

それが、

この不合理な世界を生きる僕たち人間の、

美しく呪われた、運命なんだと、

思うんです。


あきらめるなんて、

悲しいじゃないですか。



こういった考え方は、

悪い風ではないけど、すこし感情的で、理屈にあわない。

でも、僕は、いいと思う。

だって、文学、だから。

僕たちの、文学。

友達TMKとの。

そして、あなたとの。



「この世に、限りはあるの?」

「もしも果てが見えたなら」

「どうやって分かろうか?楽しもうか?もうやりつくしたね」

「じゃあ何度だって忘れよう」

「そしてまた新しく出会えれば」

「すばらしい」

「さようなら」

「初めまして」    

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