2007年6月18日月曜日

読書の、途中。

金原ひとみ、「ハイドラ」。


途中での、感想。


これは金原ひとみのせいなのか、それとも記述形式の問題なのか。

透徹した、涼しく冷たく静かな文章の雰囲気、客観性の引き換えに、高次のテンションというか、熱狂というか、ボルテージの高い、熱の高い場面の描写が、「行き切れてない」感じがする。

どうしても冷静な傍観という感じで、のめり込めないのだ。

それも意図のうちなら別に大丈夫なのだが、どうなんだろうか?

「だった」という過去形での語り、にこの問題があるのだろうか。

その傍観性が、確かに落ち着いた雰囲気を与えるかわりに、現在進行な熱狂を奪うのだろうか。

女性作家といわれる人には特に、私小説における「だった」が多い気がする。

だからあの透徹した、落ち着いた感じが出るのだろうか。それは意図?それとも限界?デメリット?


「ふつうの人間のふつうの生活における意識、感情、思考」の描写は上手いと思う。

行き過ぎなず、冷静すぎない感じがよい。オタク臭もないしね。


ただ、やっぱり「熱狂のシーン」ですね、これは多分この人自身も下手なのかもしれない。

それまでの段階を踏んだ丁寧な描写が、気持ちの高ぶっていくシーンになると一気に、「ん?どこでそうなったの?」という印象を受ける。

まぁ、まだ途中なので、何ともいえないが。

(言ってるじゃないか!!)    

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