2007年6月17日日曜日

心理学擁護についての陳述。

心理学は科学ではない、といわれる。

この場合の科学をどう定義するかというのはいささか億劫ではあるけれども、一応、

「常に同じ結果を反復することが可能な理論。または、その理論を導く実験が常に再現可能であるもの」

と仮定すれば(あまり厳密ではないが、今回の私が述べたいところの結論には少しばかりどうでもいい)、

たしかに心理学を従来の自然科学的範疇の中に納めることは、いささか困難であるかもしれない。

しかし、ここでもやはり私は、「科学=one of the 説明」論に立ちたいと思うのだ。

宗教も文学も、科学も、それは世界の「記述」の一形態である。

ものごとの理解や説明の、一つの「仕方」でしかないと思うのだ。

科学はその説明の確実性や、その物理的生産性によって多大な人気を博している。

しかし、美輪明宏的世界観を、科学は説明できているだろうか?

「あんなものは非科学的だ!」という糾弾は、

=「あんなものは存在しない!」ということと同意であるのか?

とんだ飛躍であり、誤謬であると私は思う。

あれがペテンなのかどうかは問題ではないが、科学が説明できないことが=世界にはないものだというのは、全く非理性的でしょう?

「心」の問題や、それこそ心霊現象、しいて言えば自然についてだって、現代科学は全てを解明しているわけではないし、ある種の限界を認めているじゃあないですか。

その意味で心理学は、まずその初期動作について「仮定」を用いるが、そこから生まれた実験と、現象の分析と、結果について整合性がとれ、現に精神疾病を治療し得ているのであれば、立派に科学的であると言えるだろう。

というよりも、ある意味で「科学と同じ」なのだ。


「心理学は科学ではない!」と言おうが、

心理学は自然科学と同様の、説明理論としての権威と権利を有するのである。


理解の体系なんてものは、真理ではなく、全て仮説なんだ。


この着想のおかげで、

テクストと意味、存在=差異ということとの利用と関連して、

「浦沢直樹「PLUTO」の分析」というテーマのレポートの一つの方向性を得た。


感謝。


全体的な語調の乱れは、気にしないで。

それも少しは僕の意図☆(ずるい!)    

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