2007年6月29日金曜日

「私の」アンリ ー 幸福で、愛すべき自己分裂症

私は、アンリ・カルティエ・ブレッソンが好きだ。

彼の写真は、今でこそ普通になったかもしれないが、世界にあふれる最高の一瞬(それは叙情においても、構図においても)を切り取る。(切り取る、といのは暴力的、恣意的すぎるかもしれない。彼はもっと優しいし、穏やかだ。)


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いろいろな芸術論があるでしょうが、それは全て認められるものです。

なので、私が以下に書くお話も、「まぁそんなのもあるよね」という感じでおすましください。

写真について、としてもいいし芸術一般(まぁ絵画とかですよね)もですが、

あなたが、作品と対峙して、どう思おうと、やっぱり自由なんですよね。

「あぁ、また記号テクスト論ですか」と言われるかもしれませんが、

半分あたりで、半分はちょっとニュアンスが違います。

僕は、アンリの写真のあの「薄靄」を、あの感動を言葉にはできないんですね。

それはもう「なんかいい」というだけで。

そして僕は、そういう感想っていうのは、あまり認めたくないんです。

僕は、論理も理屈も突き抜けた感性、センスがあり得ると思うんですが(当たり前のことですね)、安易にナンセンス文学とかを「いいよね」っていうやつが死ぬほど嫌いなんです。

安易に言ってるのか、それとも素晴らしいセンスで捉えてるのか、区別はつきませんし、主観意外の何ものでもないですが。

でも、僕は今、自分の「なんかいい」をそれほど不快だとは思わないんです。

別に自分のセンスを信じてるというわけじゃないんです(嗅覚には自信がありますが)。

ただ、そう思う事実なだけで。


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「私の」アンリ、なんですね。つまりは。

アンリ・カルティエ・ブレッソン論は、写真史的には絶対必要なんです。

何度も「読み直される」べきですが、権威ある論理は一本必要だと。

でも、私は、私の「アンリ」を持ちたいし、持つべきだと思う。

とかく僕は権威に弱いので(あらがってるし、弱点として見つめてるからがんばってますが)、「別に写真なんてしらないけど、私はいいと思うよ。なんか○○な感じがさ」って言いたい。

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今日の話は、種ですね。

いっぱい散りばめられてるし、整理されてない。

でも僕は、この荒唐無稽と文章の混乱に、

とてもウキウキした未来を見るんです。

幸福で、愛すべき自己分裂症です。    

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