一日空いてしまいましたね。
あらら(ちょっとショックということね)。
今日は研究会だの、サークルだの、そのあとのご飯だの、いろいろイベンティブではあったのですが、
そんなこと書いても仕方ないわけで。
では、そこから抽出して一般化できるものがあったかというと、ん〜っていう感じなわけで。
目の前を探してみると〜
(今、これを書き終えました。これはまぁ、全く時間の空いたヒマがあれば、読んでください。)
(1)ロハスについて
ロハスっていう言葉は、「自己も高める」という意味だそうです。
自分について上昇志向をもって生きていこうと。
その中で、思索しながら生きるんだから、エコとかオーガニックとかいうことになるんですかね。
はい、おしまい。
(2)夏場の「じめじめ」について
京都で生まれ育ちましたから、
夏場はやっぱり「じめじめ」していたような気がします。
まぁ、「はし」の方に住んでた人はどうかわかりませんが(笑)
この、水分が飽和状態の空気に対して、何も乾いていかない、昇っていかない感じが、つらいですね。
そういえば、京都の話で。
中3の国語の問題で、京都の話が出てました。
五木寛之が誰かに向けて書いた文章なんですが、
そのある人は、パリに住むようになって、自分が京都生まれなことに感謝したそうです。
その文章曰く、京都は、
「年齢にかかわらず個人を独立人として扱い」
「国家に対して、民衆がよりかかっておらず」
「金銭関係をはっきりとしていて」
「他人に甘ったれず」
「うんぬんかんぬん・・」
といろいろ言われていましたが、だそうです。
だから民衆が国家に対して依存していない、ある程度距離を保っている(だから革命なんてものが起きる)大陸的な文化の国、北京、イタリアの例が出てましたが、とは相性がいいという話でした。
だからパリの生活にも自然に溶け込めたと。
日本は、国家と民衆が一体となった文化ですから。
でも、京都だけは違うんですって。
確かにあそこは、歴史的にみても「自治」の精神がありますよね。
だからって、褒められすぎてますよね。
まぁ、そうだそうです。
京都人のみなさん、いかがですか?(笑)
そうなると、僕は京都人ではないかもしれませんね。
私の好きなお寿司屋さんがあるんですけれど。京都にね。
祇園に引っ越したみたいで。
「あら、敷居が高くなるな〜」と、考えてますが、
「祇園デビューしちゃおう☆」なんて愚かなことも考えてます。
おいしいんですのよ。
ここ2年は、そこで年を終え、新年を迎えるのが恒例となっています。
最初はM氏と、去年はK氏と。
K氏とは、高校3年生の年末も過ごしましたからね。
僕が朝起きるまで見守っててくれました。
鏡を見ると、何故か傷だらけでした。
雪の中を、自転車でスリップしてしまったのは、おぼえてました。
おすすめは、
「涙巻き」(ネギトロの裏巻き。表がワサビで、裏がのりです。でもそんなに辛くないのよ。旨いんです)
「サバ寿司」(これはGWの時期ぐらいしか食べられませんね。絶品です。3回は頼みますから)
ぜひぜひ。
今年は誰かしら?
今、みなさん、何をしていますかね?
いや、何かおセンチですね(笑)
ふとね、思いました。
自分の世界が広がるけれど、友達の世界も広がっていきますね。
精神的なことはもちろんですが、
地理的にも自分が東京(はいはい、ホントは神奈川です)、あいつが京都、あいつがドコドコ。と。
そこでまた広げて、
広げて広げて広げて。
そういうニューラルネットワークが、無数に増殖して結合していく。
その拡大に常に目を向けていたいですね。
あぁ、あそこのあの人は今何をやってるんだろう。
mixiは、まぁ、その補完ですね。
声を聞きたいもんです。
こんなにムリしてBlogを書くのも、
あなたが見てくれているからです。
それが一日でも途絶えたら、
僕は悲嘆にくれてしまいますから。
後輩にこんなことを言われてしまいました。
演劇の練習について。
「のぶさん(僕のこと。まぁ、もう慣れました。昔から先輩後輩みたいなのは苦手です)に、何もコメントされないと」
「あぁ、私はダメなんだなって思います」
「他の人が厳しいこと言われてたりして、自分だけコメントされないと、へこみます」
だそうです。
「あら、そんな風に思ってたの」+「確かに、そうね」と思いました。
自分としては、いいときはとても「いい!」って言うし、ダメなときは、けちょんけちょんにします。
でもそれは、ある程度、を、超えてからなので、
全くできてない人には、褒めることはしますが、(教えはしても)けなしません。
それは塾で教えててもそうですね。
伝わるもんですね(笑)
tossyがよく言います。
「高校のとき、竹中くんが黙ってるのが一番恐かった」
「もう僕はいいし、勝手にやったらいいよ」っていうのが、僕が一番恐いときだそうです。
おお、やなやつ(笑)
自分に自信があるから、こんなこと言うんですね。
そういうの、顕著になってます。
今は、もう議論しません。
異文化に触れる機会は決して逃しませんが、
「この人はおそらく無理だな」って思うと、
上っ面の優しさに彩られたコミュニケーションですね。
意見なんてぶつけません。
そうなると、どれだけの人と僕は「衝突」できるのだろう。
自分の思ってることを、真面目に問えるのだろう。
それはもちろん、関係性とかもあるから、もちろん一概にセンスのマッチングだけでは考えられません。
でも、
多分、
家族とかもひっくるめて、僕が出会ってきた人の中で、
15人くらいかもしれませんね。
僕は基本的に、誰にでも、何の話でもしますけど、
そこでしっかり打ち返してくれたり、キャッチしてくれるのは、
それくらいかも。
レベルの差はあれど。
その15人くらいが集まって、話すと、どうなるのかな(笑)
もう、ビッグバンが起こって、世界を征服できてしまいそうですね。
あぁ、ごめんなさい。
そんな懐古趣味なんて、僕は好きじゃないんです。
嫌いじゃないけれど。
あなたの前に出ても恥ずかしくない人間に、なりたいんです。
今日の文章はごめんなさい。
明日も見てください。
おやすみなさい。
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